僕には8年ほど前からジンクスがあります。
とても大好きでとっても可愛がってくれた先輩コーキさん。
東高円寺、高円寺界隈でその存在を知らない奴はモグリ。
この先輩は40歳になりたく無いよ〜(T . T)
と言いながら呆気なく39歳で亡くなった。
彼の実の母親が見間違えるほど風貌が似てた僕。
その破天荒っぷり、糖尿っぷり、そして何よりもカッコ良さが似ていたw
「昔はお前が俺に憧れてたよな?今じゃ俺がお前に憧れてるよ、俺に持ってないもの全てを持ってるよな!物を作るセンス、親父としてのセンス、何よりも男してのセンス、だから俺ができる事は何でもサポートするからな!」
こんな事を真剣にベロベロになりながら語ってくれた素敵な先輩。
本当に金も仕事も無くて困ってた時には店で働かない?って言ってくれて、お前が居ると俺も店も心強いよ!って言ってくれる。
かれんかぁ!良い名前だ!平仮名ってのが良いね!
親父になるんだな!
そんな彼とはある時を境にケンカをした。
それも1ヶ月もの間…
そしてそのケンカは終止符を打たないまま今も続いている…
彼が亡くなった。
深夜の酒の配達のアルバイト中に携帯電話の留守番電話に彼の親友からメッセージが…
すぐに病院へ向かう…
そこには料理長を含め、奥様、両親とほんの数人の仲間が…
お前を呼んだのは他でも無い、葬儀の事を考えたらコイツの周りには500を越える人が参列すると思う。
だからその人選を誤ると騒動になる…
彼はとても顔が広くいつだって賑やかだったからだ、高円寺と言うちょい面倒くさい場所柄、俺が呼ばれてないとかそんな話が始まるであろうと予想しての配慮。
コーキさんの親友に霊安室から外に出ろと、言われた…
おい、ユキ何でお前を呼んだか分かるか?
この1ヶ月もの間お前が居なかった間に毎日のように店で外でも、コーキはユキに会いたい、ユキと酒を飲みたい、ユキと一緒に居たいんだ!と言っていたと告げられた…
お互いに意地を張りすぎてたんだ…
彼が亡くなってからも東京を離れる昨年まで亡くなった事を認めたくない、墓参りなんか行かないと決めていた。
しかし、東京から移住する時に彼のお母さんに電話をしたら声で覚えてくれていた。
墓参りに行きたい、どこに墓があるのか教えてくれと頼んだ。
その立派な墓を前に僕は何も言えず、ただ約束をした。
貴方が見れなかった風景を絶対に見てやる!貴方より大きく、そして仲間を後輩を思いやり本当の意味で貴方を超えてみせる。
東京から離れてしまうけどいつでも貴方は僕の胸の中に居て忘れ得ぬ人として残っている。
ユキが30歳超えて親父になったら湯呑みで酒を飲もう!
河童橋まで湯呑み見にいきましたね。
いつか絶対にお前にハーレー作ってもらうからな!
実現できませんでしたね。
俺もメチャクチャだけどお前には負けるよ。
そうでしたねw
初めて会ったその日から貴方はいつも僕の中に居て、貴方も言ってくれましたね、お前は俺の弟だ!
だから明日までは何があっても死ねないんです。
前厄なんてジンクスは屁とも思ってないでけどちょいと前に結構心ズタズタになるような出来事もあり、あれが前厄ならラッキーと捉える事にしよう。
ケンカは終わってませんよ。
明日以降のメチャクチャな話を山ほど抱えて湯呑み持って酒持ってそっちに行きますね。
ケンカの続きをしましょう。
永遠に終わらない飲みとケンカをしながらいつまでもいつまでも話しましょう。
今では僕に瓜二つの、ちとせakaJETってのも居ますので当分の間は上からそれをアテに飲めますよ!
もうちょっとだけ待っててください。
必ず貴方の前に僕はプレゼントを持って行きますね。
紙で作ったハーレー持っていきますね。
そんな素敵な人に支えられて今日も僕は生きている。
生きている人間が亡くなった人間の事を忘れずに生きていく事が何よりの供養であるように。
生きていたって忘れないで忘れるという事は死んだのと同じ。
僕は生きている、生かされている。
皆のお陰で今日も、明日も…