CUSTOMと言う言葉はスタンダードラインでは無いと言う事。
大人数のニーズに合わせた工業製品とは違う個人へのアプローチ。
工業製品が【道具】へ昇華する。
趣味と言う事は人には理解されない事。
エンジンも付いていない自転車が幾らしようが理解はされない。
そんなコアな世界。
そんなコアな世界のまた更にコアな部分がカスタムだと思います。
先日54歳のロード乗りのお客様からのお言葉で気づいた事は…
20代の頃からハーレーのカスタムをして、どこにも弟子入りしなかった。
厳密に言えば弟子の給料じゃ生活もできず23歳で結婚して親も居なくて毎日昼間は働きに出てちょっと給料の良いところで働き、その金を自分の制作費用に当てていた。
オートバイ屋に勤めていた経験があるのでメカの事は一通り理解はしていても、塗装は独学ましてやカスタムという考え方も独学。
その話になりお客様からのお言葉は…
「だから自由に作品を想像できるのですね、生き方もとても自分らしさをお待ちだ、僕はサラリーマンから怖くて抜け出せないんだ、頭の中を形にできるって素晴らしいですね、このお店とても楽しいですよ」
そうか…
思いのままにか…
昨夜の深夜には若きアーティストギャルから今からスケボー作りたいんですけど、コレって、こうやって描いてるんですか?貼り付けてるんですか?との問いに多少アドバイスはするものの、最後にはこう言う…
「人から教えてもらって完成したものが本当に心から自分で作ったものと感動できるかな?、失敗して失敗して得るものがあると思うよ、僕だって何度も失敗してるし、今夜の作業も失敗したけど解決策を見つけたよ、失敗したって結果が出せた事が大切なんじゃない?」
そのギャルはこう言いました。
「よし!私も自分の頭の中を形にしていきます!失敗したって失敗したって良いんですね!」
今の教育に欠けているものは【失敗】と【無駄】をさせないという事だと思う。
だから何が【大切】で何が【成功】なのかも考えられない…
僕が憧れている心の師匠にも何も教わった事は無い。
教わったとすれば【クリエイト】する為にはどんな人間で居たいかって事を彼は生き様で今も教えてくれている。
弟子入りしたら最後、二度とオリジナリティは存在しなくなる、二度と師匠を追い越す事はできない。
人は【多数派】や【スタンダード】から外れたものを見たり感じたりすると【拒否】やさもなくば【罵り】右へ倣えで安心する。
するくせに「人とは違った何かを!」という皆んなと同じ台詞を口にする。
僕が自転車に携わって11年経ちます。
まだまだ毎日勉強の日々ですが分かった事はあります、やはりオートバイや車よりも【体制】も【進化】も遅れているという事。
日本ならではの【問屋主義】【消費主義】はこれからもっと加速するのだろうか…
人に一番身近であり、何よりも自分自信をカスタムしないと思うように扱えない代物。
それが【自転車】
世界に一台しか無い自転車の価値なんて当人しか分からない。
フルカーボンのロードバイクが高価なのは当たり前なのですが、素材とはいつの時代も時間と共に価値が下がる…
ダイヤモンドの価値が下がらないのはダイヤモンドだからだと遥か昔に教えてもらった事を思い出しました。
その人にとってのダイヤモンドを造りたかったんだ…
今夜も僕の中でのダイヤモンドの原石を眺めながら、磨かれるその日を待っている今はヤレたフレーム達と…
僕はここに立っている。